山手線の内側で最高峰の山が高田馬場にある!?
高田馬場から徒歩で行ける新宿区民の憩いの場
都立戸山公園に山手線の内側で最も標高の高い山があるってご存じですか?
それが戸山公園箱根山地区の「箱根山」なんです。
というわけで、ちょっと散策しながらご紹介しましょう。
※戸山公園は二つのエリアに分かれていて、大久保地区と箱根山地区があります。
早稲田大学戸山キャンパス(通称:文キャン)と学習院女子大学の間くらいに拡がる都立戸山公園箱根山地区にある、山手線内で一番標高が高い山。
江戸時代には小田原にある箱根山を模して造られ、こちらが円い玉を伏せたような形なので「玉円峰」または「丸ヶ獄」と呼ばれていました。それがここ、箱根山なのです。
標高なんと44.6メートル!
ふもとからはあっという間の約1分で登頂できる登りがいのないくらいのぶっちゃけただの丘(笑)。
軽い気持ちでふらっと立ち寄っても、このくらいは朝飯前の登山です。
戸山公園には尾張徳川御三家の下屋敷として、「戸山荘」が設けられていました。
いわゆる、大名の別荘です。総坪数は13万6000坪あったと言われております。ただとにかく広い。
いまは住居となっているこの庭園跡地には、「上の御泉水」という名称のある池泉廻遊式庭園がありました。当時、南には余慶堂と呼ばれる御殿が置かれており、中央には木でできた琥珀橋が渡っているところにこの泉水が位置していたといわれております。大名はここでご子息と戯れていらっしゃったのでしょうか。それとも短歌などを詠んでいたのでしょうか。みやびかな。
他にも多数の神社・仏閣や料亭・茶屋などが軒を連ね、最終的には、宿泊施設や田園風景の広がる農家も点在していました。もはや庭園ではなく町ですね。というよりは敷地の境目が曖昧だったのでしょうか。ちなみに、この宿泊施設の中には「小田原宿」の俗称をもつ宿が造られたことから「箱根山」と呼ばれるようになったというエピソードがあります。
ところが、この庭園は江戸時代までに災害などで何度か荒廃しており、今もなおこの目で見ることができるのは、箱根山のみなのです。
庭園から少し離れた場所には、鳴鳳渓と呼ばれる龍門の滝の滝壺がありました。こちらは滝を見事に登りきった鯉は龍に変化を遂げることが出来るという登竜門伝説が基で作られたとされております。ここ16年の間に早稲田大学文学部の学生会館からこの遺跡が発見されました。
明治維新後は陸軍戸山学校の敷地となり、戦後、戸山荘は進駐軍が強制的に奪ってしまいました。しかし、一部は公園として認められました。現在は大半が住居や早稲田大学文学学術院(文キャン)、東戸山小学校、医療センターが立ち並んでいます。
箱根山周辺は桜の木が多く、春には桜が咲き誇り、都内でも有数のお花見の名所ともなっています。山桜、きっとお酒を美味しくいただけることでしょう。
箱根山に登ると、公園の事務所にて「登頂証明書」も発行してくれるんです!(自己申告)
記念に、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。