早稲田散歩vol.2【旧邸宅の庭園巡り】
みなさまこんにちは!新緑がまぶしい季節になりました。
今年の春は暖かいを通り越して暑い日が多かったですね。街中では半袖を着ている人も見かけました。みなさまはもう衣替えしましたか?
さて、2回目の今回は”旧邸宅の庭園巡り”というテーマでお散歩したいと思います。神田川周辺の土地には、江戸後期以降大名の下屋敷(しもやしき:別荘)が建てられました。明治時代になると軍人や政治家が跡地を買い取り、邸宅を構えました。
明治中頃の1896-1906年の地図がこちらです!(右側が対応する現在の地図となっています)↓
この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップon the web 」((C)谷 謙二)により作成したものです。
神田川の流れは一部異なりますが、星マークで示された「豊橋(ゆたかはし)」はほぼ同じ位置にあることがわかります。
古地図に「早稲田大」の文字が見えますね!これは1902年に東京専門学校が早稲田大学に改称したことが反映されています。当時の敷地面積は現在の半分以下!なかなか想像がつきません…
そして今回訪ねるのは地図上でオレンジに囲った3箇所です。
①「大隈邸」改め大隈庭園
②「山縣邸」改め椿山荘
③「細川邸」改め肥後細川庭園
実際に足を運ぶ前に、”池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)”というキーワードを押さえておきましょう。
これは日本庭園の様式名で、大きな池が中心にあり、その周囲を回って景色を鑑賞するのが特徴です。築山(つきやま)・橋・名石などで名勝地が再現されています。江戸時代に大名の間で流行し、明治以降も上流層の邸宅内で親しまれました。今回ご紹介する庭園はどれもこの池泉回遊式庭園となっています。
それでは行ってみましょう!
まずは大隈庭園。言わずもがな、早稲田大学創設者である大隈重信の旧邸宅です。かつては松平讃岐守の下屋敷であり、近江八景になぞらえた庭園が作られました。1874(明治7)年に大隈重信が買い入れ、名残を残しつつさらに発展させていきました。その後邸宅と庭園は全て早稲田大学へ寄付され、大隈会館と名付けられて今に至ります。
庭園への入り口は上の写真でいうワセダベアの上あたりです。
木立を抜けると芝生が広がっています。芝生の中央にある大きな石は沓脱石(くつぬぎいし)といい、建物の出入り口に配された石です。つまりその場所から大隈重信も庭を眺めていたと考えられます…!その景色がこちら↓
緑に囲まれとても気持ちいいです。リーガロイヤルホテルに隣接している関係から、新郎新婦がウェディング写真を撮影していることもあります。今回の取材時にも偶然遭遇しました。素敵な写真が撮れそうですね。
道に沿って池の周りを歩いていきます。築山である地蔵山の頂上には、重信の妻である大隈綾子像が佇んでいます。
早稲田大学のある新宿ってビルばかりでしょ?と思っていた方!(かつての私もそうでした)学校見学の際には是非大隈庭園に来てみてくださいね。
ちょっと不思議なスポットもあります。庭園内には様々な灯篭(とうろう)があるのですが、「濡」と彫られた灯篭は独特…どんな意味が込められているのでしょうか?また赤色や緑色の石も目を引きます。
ちなみに1924(大正13)年に刊行された『大隈會館之栞』には、次のような記述があります。
”次ぎに見物の人々は、大書院の目の芝生にある二個の珍奇な石を見逃してはならぬ。書院に近い方は、「佐渡の赤玉石」で、大きな珊瑚珠を置いたやうな感じがする。道を隔てゝ、清流に近い邊(あたり)潅木の中にある二個の灰白色の松の化石は…唐船の帆柱の化石である。ともに容易く得難い名石である。”
果たして現存するかは定かでないのですが、これはもしかして…!?と思いながら鑑賞するのもまた一興です。
次は大隈重信と公私ともに深い関係があった旧山縣有朋(やまがたありとも)邸へ向かいましょう。
大隈ガーデンハウス1階を通り抜けます(階段は上りません)。道すがら右手には大隈講堂回廊に置かれた旧大隈像が見えます。
通りに出たら左に曲がり、進んでいくとリーガロイヤルホテルの脇に出ます。新目白通りの信号を渡って左にワンブロック行って右折。路地を抜けると神田川に出ます。駒塚橋(こまつかばし)を渡ったら右に進み、ホテル椿山荘の庭園へお邪魔します!あまりに上品さに、ワセダベアはしばしお休み…
入り口では門番の方から園内マップをもらえますよ。この場所は古くから椿の名所として知られているほか、四季に通じた花々が来園者を迎えます。園内に散らばる七福神像を探したり、史跡を訪ねたりと、様々な楽しみ方ができそうです。
右の写真の三重塔は「圓通閣(えんつうかく)」。平安前期の漢学者・歌人、小野篁(おののたかむら)によって創建され、平清盛が第1回目の修復を行ったという言い伝えがあります。元は広島県の竹林寺にあったものを、大正期にこの地へ移築したそうです。内部には聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)像が安置されています。
また園内には江戸中期の画家、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の下絵による羅漢石(らかんせき)が20体あります。羅漢とは煩悩を断ち切り悟りの境地に至った修行者のこと。個性豊かな表情の羅漢と出会えます。
さて、椿山荘を後にして再び駒塚橋まで戻ります。まるで京都のような雰囲気。なお足元のマンホールを見ると、桜の名所であることを全力アピールしています。
胸突坂の階段下右手には、関口芭蕉庵があります。ここは松尾芭蕉が1677(延宝5)年から3年ほど、神田上水工事に協力した際に暮らした場所です。こじんまりしていて落ち着きます。植物案内板には、芭蕉がその植物名を入れて詠んだ句が引用されています。また有名な句「ふる池や 蛙飛(とび)こむ 水のをと」の句碑もありました。文字は直筆とのことです!
芭蕉庵を出てさらに神田川沿いに右へ進みましょう。道端のポールにはツツジが型どられていました。
旧細川邸である肥後細川庭園が見えてきます。江戸中期に旗本の邸地となった後、徳川三卿の清水家、一橋家と所有が移り、幕末期に肥後熊本細川家の下屋敷となりました。南門も開いていますが、せっかくなので正門から入ります。
庭園の門をくぐると…
わー‼︎ 視界が一気に開けてなんて感動的なんでしょう!この感動は写真だけでは伝わりきりません。息を呑むほどの美しさです。
集会室・休憩所として一般開放されている松聾閣(しょうろうかく)の2階からは、見下ろす形で庭園を眺めることができます。
4月下旬〜5月上旬には肥後芍薬やアヤメ、6月には肥後花菖蒲が見頃を迎えます。
取材した時にはシャガという花が咲き誇っていました。
各種植物の開花状況は肥後細川庭園HPの「公園だより」で随時アップされています。お出かけ前の参考になります。
3つの邸宅を巡ってきましたが、それぞれ造形が異なり違った良さがありました。気軽に入れてピクニック気分が味わえる大隈庭園、歴史ある格調高い雰囲気が素敵な椿山荘、豊かな緑と広大な池が感動的な肥後細川庭園。どれも1年を通じて通いたくなる庭園です。
ここでお散歩は終了ですが、最後に早稲田キャンパスまでの道をご案内します。
肥後細川庭園正門を出たら道を右に進み、最初の十字路を左に曲がり直進。神田川の豊橋を渡ると都電早稲田駅前に出ます。早稲田生に人気の油そば屋「武蔵野アブラ學会」も見えますね。信号を渡り左斜め前の道を進みます。
1つ目の交差点を右に曲がると、早稲田キャンパス北門や中央図書館に着きます。まっすぐ進むと西門、そして大隈講堂前へ出ます。
全ての庭園をじっくり回ると3時間程かかりました。空きコマで回る場合や、日差しが強い日には少し大変かもしれません。その場合は一箇所に絞っていくと良いでしょう。どれも早稲田キャンパスからは徒歩10分圏内です。個人的には肥後細川庭園がオススメです。
日差しが心地よく、まだ蚊がわいていない(大事なポイントです!)この時期に、足を運んでみてください。
この地図はGoogle Mapにより作成しました。ご紹介したルートとは若干異なりますのでご了承ください。
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〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1
TEL:03-3203-4333(総務部総務課)
開園時間:月~土の授業実施日(天候不順日は閉園)
[4月-9月] 9:00〜17:00
[10月~3月] 9:00〜16:30
休園日:日曜日(天候不順日は閉園)
入園料:無料
〒112-8680 東京都文京区関口2-10-8
TEL:03-3943-1111 (代表)
開園時間:[冠木門開門時間] 10:00-21:30 ※季節により異なる
休園日:なし
入場料:無料
〒112-0014 東京都文京区関口2-11-3
TEL:03-3941-1145
開園時間:10時00分~16時30分
休園日:月・火曜日、年末・年始
入園料:無料
〒112-0015 東京都文京区目白台1-1-22
TEL : 03-3941-2010
開園時間:松聾閣…9:00-21:00(展望所は17:00まで)
庭園…[2月-10月] 9:00-17:00 (入園は16:30まで)
[11月-1月] 9:00-16:30 (入園は16:00まで)
休園日:12月28日から1月4日
入園料:無料
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<参考文献>
・各施設配布パンフレット
・『大隈會館之栞』、高須梅渓編、大隈會館、1924
・『キャンパスがミュージアム vol.2《大隈庭園編》』、文化推進部管理職者会編、早稲田大学文化推進部、2015
・早稲田の歴史、https://www.waseda.jp/top/about/work/history、2018年5月4日閲覧